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2021.01.15
インタビュー

卒業生インタビューVol. 9 一場翔貴さん

――まずは自己紹介からお願いします。

一場 2014年に法学部国際政治学科に入学し、2019年3月に卒業しました。タイのバンコク出身です。父が商社に勤めていて出張が多かった関係で、2歳半までタイにいました。日本に来てからは東京に小学校4年生の夏までいて、そのあとは岡山に6年生までいました。そこからまたインドネシアに行って、中学3年生の時に受験の関係で日本に帰国し、法政の付属校を受けて、そのまま法政大学に入学しました。今は栄光ゼミナールで塾の先生をやっています。

私の経歴やこれまでの活動についてはホームページもご覧ください。

――大学時代にはどういった活動をされていましたか

一場 インドネシアで貧富の差を目の当たりにしてきたこともあり、興味のあった国際協力の活動を大学三年生の秋まで頑張って、その引退を機に教育の方に行きました。国際協力系団体の代表を集めた「グローバルリーダーズパーティ」というイベントを企画したり、ワークショップだけでなく体験型のイベントもやりたいという中で、Catalystを創設して無限島というプログラムを始めたり、色々やってきました。

そういった活動が実を結んで、色々な方からオファーをいただき、全国の学校で、リーダーシップとか教育とか、ビジネスとか旅とかについて講演をさせていただいていました。大学四年生の秋に、もっと自分の活躍できる舞台を探したいと思って、海外へ派遣留学で行きました。大学四年生で単位もほぼ取れていたので、最低限の単位だけ取ればいいという状況だったので、向こうでも活発に活動出来ました。マイナビさんからオファーがあって、台湾でゲストとして講演をしたりしました。10分くらいの公演だったのですが、来場者からは「1番良い講演でした」という声をいただき、その流れで1日3000人が来るマイナビ国際派就職EXPOというイベントに出演することになりました。あとは原住民に会えるツアーを作ったり、現地の幼稚園に日本人を派遣する日本語教育の教室を作ったり、ブログを書いたり等、本当に色々なことをやっていましたね。

そういった活動をやっていたので、留学から帰ってきてからも就職という言葉があまり頭になかったです。ただ、自分1人でやる限界も同時に感じていました。もっと社会にインパクトを与えることをしたいなと思って就職先を探していて、当時はリクルートか栄光のどちらかを考えていました。そこで、僕は何の畑にいたらいいのかといったところで考えた結果、ビジネス畑よりも教育畑にいたいと思ったので、「教育×ビジネス」である栄光に決めました。

――教育に興味を持った理由を教えてください。

一場 高校時代に頑張ったことが関係しています。まず1つは野球をとにかく頑張りました。野球はずっとやっていて、岡山でも県大会優勝して、インドネシアでは世界大会に選ばれてキャプテンとして4番でやっていたので、結構自信満々だったのです。しかし日本のレベルが高くて、結局レギュラーにもなれず、ベンチ入りも最後の3年の時にやっとしたくらいでした。正直、野球をやめようかなと思っていた時期は何回もありましたが、それでも自分が4番バッターとして打点をあげて活躍するよりも、ブルペンキャッチャーとしてピッチャーを育てるということがすごく面白くなってしまって。これはこれでチームの勝利にも貢献できるし、育てることの面白さに気付きました。そういう面で角度が変わって、頑張りましたね。

また、勉強も頑張っていました。例えば、まとめノートとかをきれいに作って、みんなに配るキャラでした。そこでも学習面での育てることの面白さを感じていました。

趣味としては、僕はAKB世代だったのでめちゃくちゃ応援していました。推しも僕がCD買って推せば推すほど順位が上がっていく、というように、いずれも共通していたのは「自分が活躍するよりも、活躍する人を育む方が面白い」ということで、それに気づいて今に繋がっています。

――栄光ではどのような業務を担当されているのですか

一場 経営企画室だとか戦略を考えるだとかではなく、普通に先生をやっています。塾はよく「チョークとそろばん」なんていいますが、出社が1時半で5時までは「そろばん」で、入塾を集めたり保護者様と講座を増やしたりとか、売り上げを調整したりとか、その時間でオンラインの商品品質を上げるための勉強会とかをやったりしています。そういった部分ではコロナでオンライン授業になった時に、「誰も体験したことのない価値を作っていく」というところで、いい意味でのリセットボタンが押されたなと感じました。Zoomなどのオンラインツールにも慣れていましたし、カメラワークやオンラインならではの話し方とか画面の映し方とか、そういった細かいところも圧倒的に私たちの方が知っていたので、これまであったピラミッドが崩されたなといった感じがしました。まさにリセットされましたね。

――一場さんの今後のビジョンを教えてください。

一場 私のビジョンは「志動者に満ち溢れた日本を協創する」ということです。普段、「指導者」と書くと思いますが、そういったリーダーも大切です。ただ、自分のような人が10人いたら意見がまとまらないと思いますね。それこそ、従う人もいれば、何もしない人がいてもいいと思います。大事なのはそこに志があるかどうかで、自分のやりたい志とその志を持って動く人という意味で「志動者」と定義づけています。そういった人たちを増やしていければもっとこの国が良くなるのではないか、というビジョンです。社会の目や他人の目、それから過去の自分の目などを取っ払って、本当は自分が何をやりたいのか、といったところで動ける人が1人ずつでも広がっていけば、幸福度も高まるだろうという感じです。

あとは僕が執筆した『人生のチャンスを掴む「気づき力」 の強化書』を買ってくださった方向けに「気づき塾」というものを1か月限定のオンラインでやることになりました。2週間くらい一緒に本を読んでインプットしてもらい、年末には私がお世話になった師匠たちをゲストに呼んで特訓をし、そこでいろんなキャリアがあるということ体感してもらって、後半はインプットしたものをアウトプットしながらビジョンを語る、といったものです。

この企画には「世界がつながる、広がる、作れる」というコンセプトがあります。いつもは本を買ったら読んで終わる、というのが普通だと思います。でも、この本を本当の意味で理解して欲しいと思っていますし、行動に繋がっていって欲しいと願っています。例えばこういった本を読むと、自分は変わっても周りが変わっていないので3日やると戻りたくなってしまうと思います。僕も会社でよくあって、上司から叱咤激励されるとやる気になりますが、周りが「調子いいね」みたいな感じだと元通りになってしまう。なので、多少現場で批判されても元通りにならないようなコミュニティをこの企画を通して作っていければ、身になるかなと思っています。

実は裏で高校生と大学生を2人招集していて、その子たちに今回の企画をまず見てもらって、そこからその後2人に塾長になってもらい、それが上手くいけばオンラインの気づき塾を「志動舎」という名前で本格的に開校していく、ということが今の一番の野望です。

――最後に卒業生や在校生に向けたメッセージをお聞かせください。

一場 「一度の人生、後悔なき航海を」ということです。つまり、自分という名の船の舵を常に自分が握っていて欲しいなと思っています。

僕が講演をしたり、生徒を見ていたりしていても、舵の部分を他人や社会や過去の自分が握ってしまっている人を見かけます。こういう人たちの口癖は決まっていて、「でも」、「だって」、「どうせ」といった言葉を使って舵を何かに握らせてしまっているケースがあります。僕がコミュニケーションを取っていく中で、生き生きしていて、楽しそうだなと思う人たちは逆に「大丈夫」、「できる」、「どうにかなる」という言葉を口癖のように使っています。そういった常に自分の舵を握っている人が僕は楽しそうだと思いますし、志動者という言葉にもつながってきますが、そういった人になって欲しいなと思います。まずは「大丈夫」、「できる」、「どうにかなる」という口癖を使ってみてください。逆に「でも」、「だって」、「どうせ」を使ってしまっている人がいるとするなら、使ってしまったことに気付くだけでも一歩だと思います。使う言葉が変わるだけで、集まってくる人が変わってきますし、集まってくる情報、まさに「気づく」ための情報、人、物、環境も変わってくるということを僕としても意識しています。「大丈夫」、「できる」、「どうにかなる」を使って、「後悔なき航海」をして欲しいです。